| 「佐竹家」関東八家の一つに数えられる名門。その版図は浮き沈みが激しく、
 常陸のほぼ全域を掌握した頃には北条家の関東進出が開始。
 戦国時代には危急存亡にあった。
 佐竹義重(1547~1612)通称「鬼義重」。父・義昭の夢見た常陸統一を果たし、
 佐竹家に全盛時代をもたらした。
 武田・北条・上杉による関東争奪戦が激化する中、
 その三者と同盟離反を繰り返しながら勢力を拡大。
 やがて上杉・北条ら列強に堂々と対抗出来る勢力に成長した。
 後に北進して伊達政宗と激突。
 武勇で鳴る伊達軍団に対し、義重は冴えた外交手腕で対抗。
 周到な同盟包囲網を構築して優勢に戦いを進めるも、
 本国・常陸の情勢悪化からやむなく撤退。
 ついに勝敗はつかなかった。
 佐竹義宣(1570~1633)義重の長男。義宣の代には、
 北の伊達政宗と南の北条氏直が常陸を狙っていた。
 苦境に立たされた義宣は豊臣秀吉とよしみを通じ、
 この難局を切り抜けて行く。
 小田原攻めではいち早く参陣し、54万石の大名となった。
 関ヶ原では石田三成とのつながりから西軍に味方。
 戦後、出羽国久保田に移封された。
 しかし20万石を領して存続している。
 和田昭為(1533?~1602?)義昭・義重・義宣の三代に仕えた佐竹家の宿老。主に内政・外交に活躍し、
 朝鮮出兵には国元に留まり義宣の留守を預かった。
 
 
 
 お銀氏提供 |