上杉家
桓武平氏の流れをくむ長尾氏は、
関東管領山内上杉氏の執事として越後守護代の重職にあった。
長尾為景は勇名高く、
戦国初期の越後を舞台に守護上杉氏や士豪を相手に歴戦。
その結果、越後の実権を握る。
その末子・景虎は関東管領職と上杉の名跡を譲り受け、
戦国最強の武将として周囲の強豪を圧倒することになる。
曰く、上杉謙信と。
直江兼続(1560~1619)
幼い頃から上杉景勝に仕え、
仁義と知謀を誇った名将たる愛武者おのこ。
軍神・上杉謙信の後継者。
日の本一の兵・真田幸村の兄貴分。
天下人・羽柴秀吉のお気に入り。
天下の傾奇者・前田慶次が惚れた男。
独眼竜・伊達政宗の宿命のライバル。
そして石田三成の盟友といった評を一身に受ける器量人。
旧名は樋口与六。
あの巴御前(2005タイガー小池A子)の兄である、
木曽義仲四天王・樋口兼光の子孫と伝えられる。
語り継がれる所に拠ると・・・。
背が高い、モデル級のイケメン。
逞しいマッスルボディーと、
爽やかな笑顔を浮かべるビューティ・フェイス。
早稲田・慶応クラスの学力と明晰な頭脳。
天下人になってもおかしくない、
文武両道(どちらも一級品)の名将であり智将だとか。
上杉謙信の姉・千桃院に気に入られ、
その息子である景勝の御学友に抜擢される事となる。
永禄11(1568)年。
与六8歳、景勝13歳の日の事であった。
与六は景勝に良く仕え、
二人の信頼関係は終生に続く事となる。
無口な景勝。
弁の立つ与六。
『主従が入れ替われば天下も取れよう』
そう評される二人であったが、
与六はあくまでも景勝の忠実な右腕であり続けた。
近藤勇と土方歳三のコンビをイメージすると、
そこそこ感じが掴み易いだろうと思われる。
天正9(1581)年、
直江景綱の娘・船と結婚。
ここで初めて、直江兼続となった。
慶長5(1600)年には世に名高い「直江状」で、
関ヶ原の合戦のゴングを打ち鳴らす。
「最上記」に曰く、
「直江は古今無双の兵(つわもの)なり」
上杉景勝(1555~1623)
上杉謙信の姉・千桃院の息子。
超がつく程の無口で、
家臣達に笑顔を見せた事が無いと伝えられる。
武田菊姫(1558~1604)
武田信玄の四女で、上杉景勝の正室。
勝頼は異母兄にあたる。
武田家と上杉家が同盟を結んだ際に嫁いだ。
甲州夫人・甲斐御前と呼ばれ、
上杉家中では敬愛を受けている。
子供はなかったが、
諸費倹約を奨励した賢婦人として名高い。
直江船(1557~1637)
上杉謙信の片腕・直江景綱の娘。
はじめ、長尾信綱を婿養子に迎える。
信綱は景勝を支える重職にあった奉行だが、
「御館の乱」のいざこざに巻き込まれて亡くなった。
その後、景勝の命で樋口兼続と再婚。
信綱との間に子供は無く、
兼続との間に産まれた一男二女も早世。
老後は、景勝の嫡男・定勝の教育に深く関与している。
「○○天王~上杉家篇~」
上杉四名臣・・・上杉謙信の重臣
直江景綱(?~1577)
謙信の父・長尾為景の代からの重臣。
若き謙信の片腕として活躍した。
甘糟景持(?~?)
1561年の川中島の合戦(無双シナリオ1)にて、
寡兵で奮戦した上に退却時には殿を務めた猛将。
宇佐美定満(?~1564)
越後流軍学の祖と称される。
卓越した戦略眼を以て、若き日の謙信を補佐した。
上杉景勝の父・長尾政景との舟遊びの最中に溺死。
柿崎景家(?~1575)
謙信の側近。
精強な越後軍団の中でも随一と謳われた猛将で、
常に軍の中核として先陣を切って敵陣に斬り込んだ。
信長との内通を疑われて殺される。
お銀氏提供
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